ドロン女が行く

海外を転々とした挙句今はアメリカ永住の40代女子による、「それおかしくない?」に毒吐きながらツッコむブログ。自由な生き方や考え方、またアメリカ生活や旅行などついても書いています。

日本から脱出はしたけど、さらに大変だった話

「私が海外で暮らしたいと思うようになったのはどうしてか?」 の続きです。


日本を離れて20年以上になるので今の日本が実際どうなのかはわかりませんが、私が日本にいた頃は、

「仕事だからつらいのは当たり前」
「自分の意に沿わないことでも従う」
「大変なことがあっても我慢して働くのが社会人」

という仕事への価値観が蔓延していました。


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とにかく「拘束される」とか「上に従う」とか「我慢する」ということが苦手だった(今もですが)私は、オーストラリアでの1年、二十歳の時に「私には日本での就職は無理だ」と悟ってしまい・・・

オーストラリア人失業者の生活を見て目から鱗

オーストラリアにいた頃、友人のルームメイト(オーストラリア人)は失業者だったのですが、いつもいろいろどこかに遊びに行ったりして生活をとても楽しんでいました。

ある日郵便でその人宛に冊子が届いたのですが、それが政府からの生活保護受給のための冊子。

その人は「わ~、大変! これをちゃんと読まないとお金がもらえない~!」などとキャンプ用品をいじりながら(笑)、本人的には焦っていたようです(日本人からすると到底そうは見えない)

「24時間働けますか」といったCMが誇張でないぐらい企業戦士だらけだった日本から来た私は、こんな人生もあるのか!と目から鱗

海外に出る方法を探して行動する

その後、楽しかったオーストラリア生活(←そりゃそうだ、仕事も勉強もしないで遊んでばかりいたんだから!)から日本に戻り、大学に復学したわけですが、なんとしてでもいずれは海外に出たいと思うようになっていました。

が、


英語は日常会話レベルしかできない
何もお金になるような特技がない


こんな私が海外に出るにはどうしたらいいだろう?と考え、いろいろリサーチした挙句、「日本語教師が私には近道だ!」との結論に至りました。

そして大学4年生の時に1年間日本語教師養成講座に通って、規定の420時間を履修

そして日本語教師検定試験も合格


日本語教師の仕事先は日本国内より海外の方が多いので、通っていた学校に来ていた募集の中から、韓国の日本語学校に履歴書を送って(当時はネットなんてないのでもちろん郵送です、笑)、合格して、領事館で労働ビザを取り、念願の日本脱出をしたのでした。

しかし現実は厳しかった

と、ここまでで終わればすべて計画通り!なんですが、お気楽オーストラリア生活とは違って、


「初めての仕事」であったという慣れない苦労


はもちろん、


戦後50周年当時の韓国に日本人が暮らすという、被差別者としての生活


そして、


西洋化しつつあった日本と違って、当時の韓国では、私が苦手としていた「人の目」やら「上に従う」といった慣習などが日本どころのレベルじゃなかった!


というオチが。

想像をはるかに超えたトリプルパンチに打ちのめされていたのでした。ま、自分が甘かったんですけどね、ハハハ。


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