ドロン女が行く

海外を転々とした挙句今はアメリカ永住の40代女子による、「それおかしくない?」に毒吐きながらツッコむブログ。自由な生き方や考え方、またアメリカ生活や旅行などついても書いています。

「自分の葬儀でどのように自分を語ってもらいたいか?」という質問で気づいた、私の人生の目的

自分発見テストみたいなもので、「自分の葬儀で、集まってくれた人に自分をどのように語ってもらいたいか」というのがあって、

「あの人はこういう人だったね」と、どのように自分のことを語ってもらいたいかを想像することで、どうやって生きていったら自分が幸せなのか、その価値観を探るというようなものだった。

それはたぶん「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)から取ったのだと思うけど、その本を読んだ時も、今回のテストでも、完全に思考が停止した。

ピンと来ない、どころか、まったく考えが浮かばない。

たぶんこれは例の私の根底に流れている考え方、

「人が私のことどう思おうが、どうでもいい」

からなのかもしれない。


そんな中、この記事を見て、「これだ!!」と閃いた。

petfilm.biz


いつも野良犬のお世話をしていた女性が亡くなった時、葬儀場に野良犬たちがぞろぞろとやってきたという話。

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自分が死んだら葬儀場で人々にどう語ってもらいたい、なんてことにはまったく興味がない私だけど、

野良犬たちが集まってくるなんて、なんて素敵なんだろう。

これなの、これ!

こういう人になりたい。

私が動物だったら私に飼われたい


私が人より誇れることはたったひとつだけある。

まあ、かなり強い人間ではあるからどこででも結構やっていけるという利点はあるが、

こういう妻を持ちたいか?と言われたら嫌だし、

こういう子供を持ちたいか?と言われたらありえないし、

こういう友達を持ちたいか?と言われたら、まあ悪くはないけど、そんなに誇れるようないい友達ではないだろうし、

こういう従業員を持ちたいか?と言われたら、絶対に嫌だし、

こういう雇用主/上司を持ちたいか?と言われたら、それもありえない。

でも、こういう飼い主を持ちたいか?と言われたら、

「はい! もちろんです!」

と自信を持って言える。

私が動物だったら、私に飼われたいと思う。

ネコっかわいがりするのではなく、その動物がその「動物」であるために必要なことを常に考えている。

種として何か欠陥がある

昔から異常なぐらい動物が好きで、人間にはあまり興味がないのかもしれない。

子供の頃飼ってた犬はほとんど母が世話をしていたし、当時の日本では外飼いが当たり前だったから、今の犬との関係とは程遠いものではあったけど、

それでも、

「もしいざとなって、小さい弟か飼い犬か、どっちかしか助けられないとなったらどうする?」

と考えてみた時、

間違いなく犬を助けるだろうと子供心に思っていた。


私の人間に対する愛情の無さは、私という人間のバランスの欠如をはっきりと表していると思う。

自分と同類の種(人間)ではなく、別の種のほうが大事というのは、

生き物としての私のDNAかなにかに欠陥があるに違いない、とさえ思う。

今後も動物のことを考えて生きていくだろう

今は犬2匹に猫1匹に鳥にハムスターに、、、と飼っていて、

犬の保護団体のボランティアと、フォスター(保護犬を家で預かって飼い主が見つかるまでお世話すること)もしている。

寄付も、基本的には動物に対してのものしかしない(野生動物も含め)

人間には絶対しないと思っているわけではないけど、人間を助ける人はたくさんいるから、そこはそっちに任せて、

私は限りある予算&時間を、自分が本当に大切に思っているところに使いたい、というだけ。


今更「人間をもっと大事にしろ」と言われても無理な話なので、

今後も情熱の矛先は動物だろう。

地球上の動物達ができるだけ幸せに暮らせるよう、自分ができることを探して、少しでも努力するのみ。